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『チベットの女 イシの生涯
シエ・フェイ(謝飛)監督来日インタビュー
 2002年11月、『チベットの女 イシの生涯』の監督であるシエ・フェイ氏が、映画のプロモーションのために来日しました。
現在、北京電影学院で教鞭も取っているシエ・フェイ監督。監督というよりは温厚な教授といった感じで、ひとつひとつの質問に対し、熱っぽく語ってくれました。
■この作品ではすばらしいチベットの大自然が、見事に画面の中で息づいています。撮影に関してのエピソードをお聞かせ下さい。

 チベットは平均海抜が3700メートル以上の、世界の屋根といわれる高原地帯にあります。自然や風土が非常に美ししいだけでなく、チベット族の社会や文化が造り出した景観もまたすばらしいものがあります。今回は撮影、美術、ともに優れたスタッフに恵まれました。とくに撮影のフー・チンションは、もともと美術学院の付属学校にいた画家出身です。私の95年の『草原の愛−モンゴリアン・テール』も彼が撮っており、私とは今回で3本目になります。そういう人たちのおかげでいいシーンが撮れました。

 もちろんこの映画は記録映画ではなく、あくまでドラマです。ただ美しい風景だけを撮ればいいというものではありません。そこに生きているドラマの中の人生と結び付ける必要があります。だから私は風景と人物設定の関係を考える必要がありました。たとえば年老いてからのイシたちが暮らしている家、これは実際にポタラ宮の下で住む人がいなくなった家を探し当て、その家に5万元をかけてオープンセットに改築して使っています。だからこの老夫婦が家を出入りする度に、ポタラ宮が画面に映るようになったのです。

 イシは農村出身のごくふつうの女性で、年老いてからはラサに住んでいる設定です。それだけから考えると、農村とラサの市街の風景だけあればいいということになり、美しいチベットの大自然の風景は必要なくなります。だからそれも含めて、文化大革命の時にイシがギャツォを訪ねて遠い道をはるばる行くシーンを加えました。たとえばヤルツァンポ川、これはチベットで一番大きな川ですが、これを牛皮に乗って下るシーン。世界で最も高い場所にある塩湖のナムツォ湖も、映画の中に入れることができました。

 それらを撮るには、事前に入念な準備が必要です。ベースキャンプから遠いところにあり、海抜も高い訳ですから。もちろん偶然にいいシーンが撮れたということもあります。たとえばギャツォがイシを略奪して2人が結ばれるシーンは、最初は単なる草原をイメージしていました。しかし予定の場所へ向かう途中で、偶然にも花が咲き乱れる場所を見つけ、映画のようなシーンになった訳です。

 もちろんもっと予算があればいいシーンも撮れたかもしれません。しかしこの作品は50万米ドルほどの低予算で、ハリウッド映画のようにヘリを使って雪山を空撮するようなことはできませんでした。その代わり北京から15メートルぐらいのリフトクレーンを運びました。カメラマンはクレーンを非常によく使い、トップシーンで仏塔から画面が上がっていくとポタラ宮が見えるというような躍動感のあるいいショットが撮れました。

■この作品の中では、主人公イシをめぐる3人の男性が均等に描かれています。この3人はイシにとって何を象徴しているのでしょうか。

 原作に登場するのは夫のギャツォと若いころの愛人のクンサンだけです。しかし原作者のザシダワと脚色するうちに、宗教の要素も加えることにしました。というのも当時のチベットは人口の70%が貧民や農奴、残りが僧侶と貴族という構成でした。だからこのサムチュという僧侶を人物構成の中に加えたのです。私はシナリオの中で、この3人の位置付けをこのように書いています。サムチュというラマ僧はイシが一生を通じて崇拝している相手で、プラトニックラブの存在。ギャツォは実生活の中の主人、クンサンは愛と恨みが相半ばする相手です。言うなればサムチェは精神的な憧れの対象であり、クンサンは若いころの激情の対象とも考えられます。しかし長い人生の大部分はごく平凡な日常生活です。その中で最も強い愛は、お互いに責任を分かち合い、寛容の心を持って接してきた夫婦のつながりでしょう。だからギャツォは自分の死に際してイシの心を察して、かつて関係があった男性と会うことができるように取り計らうのです。

■漢族であるあなたがチベット族を描く上で、文化的なギャップを感じることがありますか? とくにこの映画のイシのようなタイプの女性は、彼女が漢族ではなくチベット族であるということが関係していますか?

 私自身はチベット語が話せませんし、作品を作る上で資料を調べましたが、私の理解もそれほど深いものではないでしょう。しかしそれでも、確かに我々漢族とチベット族にはいろいろな面で違いがあることはわかります。チベット族は輪廻転生を信じているので、現世では自分の運命を受け入れるという考え方があります。たとえば映画でイシがギャツォに略奪婚をされますが、イシはこの時、自分が前世で悪いことをしたために因果応報でこういう目にあっているんだと受け入れます。一方、荘園の若旦那に夜とぎの相手をさせられる時にも、イシは自分は奴隷だからこれは仕方がないと考える。そういう宿命感が彼女の一生を貫いているのです。そしてそれはチベット族の宗教感と密接に結びついていることは確かでしょう。

 我々漢族は女性の貞節など封建的、道徳的な面がやかましいのですが、この面でもチベット族は異なっています。たとえばギャツォが若旦那のクンサンを侮辱するために、尻を出して見せるという場面があります。これは原作にもあり、原作者のザシダワにも本当にこういうことがあったのか聞いてみました。すると彼の話ではもちろんあったし、もっと漢族には理解できないようなこともある。たとえば女性が男性に対してとても頭に来て侮辱する時は、スカートをまくって大事なところを男に見せるという習慣もあったそうです。これは「死んじまえ」というほどの意味になるようです。またチベットの女性は水浴をする時に、裸を見せることに抵抗がないということがあります。これは漢族にはとんでもないことになります。チベットはもともと寒冷な場所ですので、ふだんは水浴はできません。できるのは太陽が上った正午のごく限られた時間。だからその時には若い女性でも服をパっと脱いで水浴をし、一緒に服も洗います。乾くまでは裸のまま待ち、乾いたらそれを着て立ち去るという習慣がありました。開け広げなので、裸だからどうという感情も湧かないのです。そういう部分は確かに漢族とは違います。

■この作品では、主人公イシが歌うツァンヤンギャツォ(ダライラマ六世)の恋歌が重要な役割を持っていると思います。この歌やこの作品の音楽について、お聞かせ下さい。

 今回、この映画の音楽を担当しているのはチャン・チェンイーです。この人は朝鮮族ですが、それでも彼に頼んだのは、まだ仕事として熟練したチベット族の作曲家がいないからです。その点で彼は数年前からチベット的な風格の曲を書いていました。彼はチベットへはあまり行ったことはなく、また数少ないチベット訪問でも、着いた途端に高山病になり、一週間もしないうちに帰ったという話もあります。しかしその短い滞在の間にチベット族のメロディーをいろいろ集め、「西蔵高原」というすばらしい曲を書いています。
 歌を歌ったラムツォは、そのチャン・チエンイーが隊長をしている文化工作隊のチベット族の隊員です。今回ラムツォと仕事をしてみてわかったのですが、チベット語と言ってもいろいろいあり、青海省出身のラムツォはラサの標準チベット語がわかりません。だからこの歌の録音時には、ラサの標準語を話せる人がラムツォに標準語を教えています。

 この歌の詩歌は300年前のツァンヤンギャツォ(ダライラマ六世)が書いたものです。今日残る60〜70首ほどの中から2首を選んで曲をつけました。曲も方言と同じで、地方ごとにメロディーが異なり、決まったものはないと言うことでした。そこで私は作曲のチャン・チェンイーに、物語の舞台であるラサ南方の農村地域のメロディーを入れてくれと頼みました。彼はこの地域の民謡をベースに、見事にこのメロディーを作ってくれました。
 ツァンヤンギャツォについては歴史的な資料を読みました。彼の人の存在はチベット文学における宝だと私は思います。彼は24歳でその生涯を終えましたが、非常にドラマチックな人生を送りました。活仏であるからには恋愛は許されないのに、多くの恋愛をして恋愛詩歌を残しています。結果として300年後の今でも、その作品はチベットの人々に愛されているのです。

 あるマスコミの取材を受けた時、実はダライラマ14世がインドへ亡命する時に、ツァンヤンギャツォの歌を歌いながらヒマラヤを越えたということを聞きました。私はそれを聞いてツァンヤンギャツォの歌は立場を越えて好まれていると言うことを知りました。


■監督が映画を撮る上で、どんなテーマに惹かれますか。また中国で映画を撮る上で、いろいろ制約もあるのでしょうか。

 私の日ごろの仕事は監督というより、映画学院での教師の仕事を主としています。だから自分で撮る場合には思想的な束縛もとくになく、原作も自分で選べる状況です。我々の世代の人間はすべて文化大革命の災難を被っています。かつては社会主義、共産主義を信じていましたが、文化大革命を通じてそれらがすべて幻想であったと知りました。それは中国の過去2000年に渡る封建制度、それが今日の中国人にまでさまざまな悪影響を及ぼしているからです。たとえば皇帝を倒して新しい国を作ったはずなのに、毛沢東を個人崇拝してしまう。封建制度の毒から抜け出していくということが、いかに難しいことがわかるでしょう。ですから私の初期作品はすべて、そうしたところに主点が集中しています。

 しかしその後、私の興味は少数民族へ移り、モンゴル族やチベット族を扱う映画を撮るようになりました。近代化によって生活レベルが上がる一方で、古い伝統的な生活の中にあったいいものが失われていくのではないかと考えるようになったからです。たとえばモンゴル族なら自然との緊密な関係、チベット族なら善を行ない徳を積み寛容の精神を持って人に接すること、こういった部分が徐々に失われているのではないかと思います。

 映画の場合は作品を通じて、文化や伝統というもの対する自分の思想を盛り込めますが、残念なことに今日、中国映画は市場において経済的に状況が悪くなっています。私も昨年からテレビへ方向を変えています。テレビドラマは基本的には娯楽ですから、その中にあまり深く自分の思想を盛り込むことはありません。それにテレビドラマは基本的には都市が舞台です。テレビを撮るようになって学校の学生からも「シエ先生もとうとうコマーシャリズムに降参したのか」と皮肉をいわれます(笑)。私も今の所はしょうがない、将来条件が整ったら芸術な映画を撮ろうと思っているのですが、実現するかはまだわかりません。

 
2002年11月12日
渋谷のホテルにて
合同取材、採録/前原利行

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