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■アフガン零年/OSAMA

 
2003年/アフガニスタン、日本、アイルランド

監督・脚本・編集:セディク・バルマク
出演:マリナ・ゴルバハーリ、モハマド・アリーフ・ヘラーティ、ゾベイダ・サハール
  
配給:
アップリンク、ムヴィオラ
上映時間:82分
公開:2004年3月13日より
東京都写真美術館ほかにて全国順次公開
 
■ストーリー
 
 タリバンが支配するカブールの町。仕事を求める女性たちのデモが放水により蹴散らされる。逃げまどう人々の中に偶然紛れ込んでしまった少女とその母親がいた。少女は母と祖母との3人暮らし。家族の男はみな戦争で死んだ。女性だけの外出や就労が禁じられた社会では、女だけの一家は飢えるしかない。少女は髪の毛を切り、少年と偽って働きに出る。正体を知られることを恐れながら暮らす少女だったが…。
 
■レヴュー
 
 かつてタリバンが国内の主要都市をおさえ、アフガニスタンに拡大していったころ、僕はアフガニスタン国境にいたことがある。その時に話したアフガニスタンの人々は、腐敗したその時の政権より、タリバンを心から支持しているように見えた。タリバンの運動の中には、確かに世の中を良くしようとする純粋な気持ちはあったのだろう。しかし「純粋」さは時として他のものを受けつけない、異なる他者への「不寛容」にもなる。そのことは数々の歴史が示してきた。極端な原理主義自体は、その世界に住み、同調できない人々にとっては恐怖でもある。ただイスラム原理主義が力を増しても、7世紀のイスラムの世界には戻れないことは確かだろう。世界は多様で、他者を認めないものはいずれ支持を得ることができなくなる。それはイスラムだけでなく、キリスト教原理主義、共産原理主義、自由競争原理主義…、すべてだ(理想論だろうか)。
 この作品を見る限り、女性にとってタリバン政権は女性を奴隷として支配する社会だ。一部の男性にとって理想の世界でも、そこでは男の庇護を受けられなくなった女性は飢えて死ぬしかない。女性は単なる家事と性の奴隷だ。しかしそれはタリバンだけのせいではないところに、この問題がいまだに解決していない事実がある。
 ただそうした強いメッセージが映画的充実度と結びつくかといえば難しいところで、演出上の「仕掛け」がまだまだマフマルバフ作品ほどこなれていないので、「演出」している感じがどうしてもついてまわる。しかし「稚拙な作品」と言い切るには、映画をテクニックや演出の優劣だけで評価していいのかという自分への問いも残る。「娯楽」のための映画だけでなくともいいのだから。そこで☆1つオマケすることにした。★★☆(前原利行)

 
■関連情報
 
 本作は2003年カンヌ国際映画祭でカメラドール特別賞を受賞。また2004年のゴールデングロープ賞の外国語映画賞にノミネート。その他にも各国の映画祭で多くの賞を受賞している。
 
■映画の背景
 
 タリバン政権下のアフガニスタンでは、映画(=映像)は作ることはもちろん、見ることも禁止されていた。だから本作はタリバン崩壊後にアフガニスタンで初めて作られた「アフガニスタン映画」だ。監督のセディク・バルマクはタリバン以前にアフガニスタンで活躍していた映画人。政権が変わり、アフガニスタンに戻り、今回、NHKやアイルランドの出資を受けて、この作品の製作に着手した。撮影機材や撮影スタッフがそろわなかったため、撮影機材は『カンダハール』で知られるイランの監督モフセン・マフマルバフのものを借り、撮影、音楽、美術などのスタッフも「マフマルバフ」組が担当している。
 
■DVD情報
 
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