| むかし中国をバスで旅している時、四川か雲南の山なかに突然巨大な発電所が見えてきて驚いたことがある。周囲の自然とのアンバランスさに、僕はその時強い衝撃を受けた。
映画のオープニング。大勢の人々が働く工場の中を、人が歩くほどのスピードでカメラは移動していく。カメラを無視する従業員も入れば、不思議そうに見つめるものもいる。たいていが若者たちだ。ところが、いつまでたってもカメラの横移動は止まらず、工場の端になかなか行き着かない。不安になりだした頃に、ようやくナレーションが被ってくる。この8分間の長い移動ショットが本作を象徴しているといっていいだろう。こんなに大きな工場が必要なほど、人々はモノを欲しているのだろうか。
カナダ人写真家エドワード・バーティンスキーは、産業とそれが変えた地球の風景を収める連作をライフワークにしている。今回、彼が選んだのは「世界の工場」と化している中国だ。彼の撮影の様子をドキュメンタリーのクルーが追い、彼がカメラに収めたものを映し出す。巨大な工場、再生資源のゴミの山、延々と続く石炭の山、壮大なスケールで建設中の三峡ダムの工事現場…。人々が豊かになる裏で生まれていく、新しい「風景」。時おりバーティンスキーのナレーションがそれに挟み込まれていくが、彼は「産業によって姿を変えられた自然は、現代生活が抱えるジレンマの隠喩である」と言う。
快適なセントラルヒーティングのビルの地下にそれを支える大きなボイラー室があるように、豊かな生活の裏にはそれを支える陰の部分がある。しかしそれらは意図的に隠されている訳ではなく、誰も見ようとしていないだけだ。バーティンスキーはそれらにカメラを向ける。中国で行われている自然の改変はあまりにも大きく、そのスケールは私たちを不安にさせる。しかしこれは中国批判の映画ではない。結局、そうさせているのは、安価な商品を必要としている私たち「先進国」であるからだ。日本だって例外ではない。日本製品の工場の多くは中国にあるのだから。
人間はやがて地球を食い尽くしてしまうだろう。何のために。それは理屈ではなく本能なのか。そんなことを考えると、黙々と自然を改変し、製品を作り出していく人間たちはアリのような昆虫にも見えてくる。
本作は決して娯楽性の高いドキュメンタリーではない。画面は淡々と進行し、体調次第では眠気を誘う音楽が流れ続ける。それでも見終わった後の「不安」感は、誰も抱くだろう。(★★☆前原利行)
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