| ■輝ける青春 |
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2005年/イタリア
監督:マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ
(『ペッピーノの百歩』)
出演:ルイジ・ロ・カーショ
(『ペッピーノの百歩』)
アレッシオ・ボーニ
アドリアーナ・アスティ
(『革命前夜』)
配給:東京テアトル
上映時間:366分
公開:7月9日(土)より
岩波ホールにてロードショー |
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| ■ストーリー |
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ローマで仲睦まじく暮らすカラーティ家。両親と4人の子供達は平凡だが幸せな生活を送っている。ニコラとマッティオは一つ違いの兄弟ですこぶる仲はいいが、その性格や人生の受け止め方は全く違っていた。
ある時、二人はジョルジアという一人の少女と出会う。彼女は精神病院で不当な扱いを受けており、兄弟は彼女を病院から救い出す計画を実行するのだが失敗に終わる。その出来事は二人の人生に大きな影響を与えるのだった。ニコラは精神科医になって、彼女のような人を救おうと決意し、マッテイオは学者になることを夢見ていたのだが、その繊細な感性とは正反対の規律で固められた軍隊に入隊を決めるのだった。 |
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| ■レヴュー |
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6時間を超える大作である。大作といえば、同じイタリア人のベルトリッチ監督の撮った『1900年』という5時間超の作品あった。階層の違う二人の人生を通してヨーロッパのファシ ズムの誕生と終焉を描いた傑作だった。この『輝ける青春』は、舞台もテイストもちがうけれども、時代に翻弄される人間たちを真摯に描いている点で、またそれを社会に還元しようとする姿勢において共通点があると思う。
ニコラとマッティオという二人の兄弟を中心に、中流家庭・カラティー家が混迷の時代を生きていく物語は1966年から始まる。二人の兄弟は戦後間もなく生まれたという設定になっているので、この家族像はまさに戦後イタリア現代史を体現しているといっていいだろう。
ニコラは明るく、理想を持ち、前向きに生きようとする人間。愛にあふれ、人のためになる事を自らの存在意義としている。一方、マッティオは繊細がゆえに自己の殻に閉じこもり、自己否定を繰り返す人間。光と影のように両極的な二人が強力なドラマツルギーを作り出す。兄弟の前に現れた精神病院で虐げられていたジョルジュアという少女は、神が二人の人生に与えた大きな課題だった。
愛や裏切り、出会いや別離、孤独と失望。人生の悲喜こもごも。思わず絶句してしまうシーンがあり、また何度となく涙を誘うシーンがある。そんなうまい話あるわけないよなあ、という筋立てもあるが、そんな枝葉末節は、この作品の持つ圧倒的存在感からすれば微々たるものである。ここは美しいイタリアの風景と壮大な人間讃歌に素直に身を委ねたい。
イタリアは日本と同じように敗戦国から出発した。東西の冷戦、ベトナム戦争があり、学生運動が盛り上がり、「赤い旅団」というテロリスト集団を生んだことを見るにつけ(日本でいえば日本赤軍だろう)、どこか日本の戦後史を思わせる。当時、世界は幸か不幸かイデオロギーによって共時性をもっていた。何かを変える事が出来ると信じていた世代にとって「輝ける青春」時代であった。だがそれが挫折し、イデオロギーによる対立も無くなると、世界はバラバラになってしまったように見える。
フィレンツェの大洪水の際、世界中から学生が集まり美術品や書物を救い出したシーンは特に監督の熱いノスタルジーとメッセージを感じる。だが、監督の主張はそれだけで終わらない。熱い時代が終わった後でも、目の前にある格闘の手を緩めるな、と我々を激励する。
ここ最近の世界の不透明さを思うと、人類の未来に希望を見出せるのだろうか?と思う。僕らはただ忙しい時間軸の中で即物的に生き、浪費を繰り返し、見たくないものに蓋をし、自閉するしかないのではないか? と。そんな底なしのニヒリズムが蔓延する中で、ニコラとマッティオが葛藤する。この映画は自分たちが来た道をもう一度見直させ、人間はどう生きて行くべきかを問いかけている点で、大きな力をもった作品である。(★★★☆カネコマサアキ) |
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| ■関連事項 |
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第56回カンヌ国際映画祭 ある視点部門グランプリ
ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞(イタリア・アカデミー賞)6部門受賞
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| ■DVD情報 |
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