2009年/日本・モンゴル 監督・脚本・編集・制作:亀井 岳 配給:FLYING IMAGE この映画にも、そんな歌がたくさん流れている。もちろん、それは耳に聞こえてくる音楽なのだけれど、その奥には、もっとちがう時間の流れや、ちがう生の文法のようなものがたしかに流れていることが、この映画を観ているとしんわりと伝わってくる。 映画としてはとても地味だ。ストーリーも、ドキュメンタリーともドラマともつかない漠然とした骨組みくらいしかない。モンゴルの喉歌であるホーミーの魅力や、すぐれた歌い手を紹介するとか、現代の遊牧民がおかれている伝統と近代化の矛盾といったテーマは見えてくる。それらも興味深いことではあるけれど、より印象的だったのは、そのような言葉にのせられない、もっとひそやかな、それこそ「幽けき」歌のようなものが、すみきった希薄な大気のように、この映画の全編を満たしていることだった。 夜には零下40度にもなる雪原の中を走る乗り合いバス、寒気に紅くなった人びとの頬、白い冷気となって宙に消えていく言葉、色とりどりの布や敷物でおおわれたゲル、朝の光にきらめく凍りついた雪の色、燃え立つ地平線。それらはたんなる美しい背景ではなく、むしろ、そこからたちのぼってくる精妙な冷気のようなものが、この作品の中にさしはさまれる歌となって耳に届いてくるかのように思われてくる。 われわれはいま、地球上のどんな音楽でもネットやCDでかんたんに手に入れることができる。けれど、それらの音楽が立ち上がってくる時に立ち会えることは稀であるし、たとえ、その場にいても見過ごしてしまうもしれない。でも、この作品にはそんな歌が生まれる瞬間が、ひかえめにちりばめられている。それはかならずしも強烈な悲しみだったり、激しい恋慕ではなく、漠とした不安や小さな喜び、かわいた絶望などが糸のようにもつれあうなかに、ひっそりと生まれる調べだ。 不思議な思いで作品を見ているうちに、ああ、そうかと気づいた。それはまさにホーミーそのものではないか。うなるような低い歌の上に高い笛のようなもうひとつの歌を響かせるホーミーのように、この作品もまたストーリーの外側に、言葉にならないもう一つの歌が流れている。それが監督の意図なのかどうかはわからないけれど、そんなひそやかな歌に耳を澄ましていると、この映画にこめられた豊かさがいっそう心にしみいってくるように思う。(★★★ 田中真知)
■チャンドマニ 〜モンゴルホーミーの源流へ〜/Chandmani

首都ウランバートルから、故郷チャンドマニ村へ 二人のホーミー唱者が辿る共鳴の旅
撮影:古木洋平
出演:ダワースレン、ザヤー、ダワージャブ、センゲドルジ
上映時間:96分
公式HP:http://www.chandmani.com/index.html
公開:2010年3月20日より渋谷アップリンク他、全国順次公開
■ストーリー
チャンドマニは、モンゴルのホーミーの発祥地の村の名。この村のホーミーの名人の息子ザヤーは仕事を求めてウランバートルにやってきたが、なかなかいい仕事に就けず、アパートの屋上でホーミーを唱うのを唯一の慰めとしている。遊牧をしている友人を訪ねたことをきっかけに、ザヤーは故郷チャンドマニ村に帰ることを決心する。故郷へ向かうバスの中には、同じくホーミーの歌い手であるダワースレンがいた。彼はチャンドマニ村の噂を聞いて村を訪れるつもりだった。互いがホーミーの唱い手と知らぬまま、二人は村へと向かう。その途上、人々と触れ合い、唄を歌い、大自然を目にするうちに、彼らは自分たちの遊牧民の血に気づきはじめる。ザヤーはチャンドマニ村に向かい、ダワースレンは、さらに西を目指す…。
■レビュー
モンゴルの遊牧民のゲルで数日世話になったことがある。昼はそこの主人につれられて馬で親戚をたずね、夜は彼らがゲルにやってきて、客人であるぼくのために歌をうたってくれた。いっしょにいた日本語のできるモンゴル青年が、いまのは馬の歌だよとか、これは母の歌だよと教えてくれた。声はよく通るのに、どこか「幽けき」という言葉が浮かんでくるような繊細な歌だった。耳で聞くというより、香りのように脳の古い皮質に直接はたらきかけて、思いがけない記憶を呼びさますような、そんな歌だった。