■ベルリン、僕らの革命/The Edukators
2004年/ドイツ=オーストリア
監督・脚本:ハンス・ワインガルトナー
出演:ダニエル・ブリュール(『グッバイ、レーニン!』『ラヴェンダーの咲く庭で』)、ジュリア・ジェンチ、スタイプ・エルツェッグ、ブルクハルト・クラウスナー(『グッバイ、レーニン!』)
配給:キネティック/コムストック
上映時間:126分
公開:Bunkamuraル・シネマにて上映中
公式HP:http://www.bokuranokakumei.com
■レヴュー
現代のベルリン。留守中の金持ちの家に忍び込み、家のあらゆるものを積み上げ、「財産がありすぎ」という警告を残すエデュケーターズというグループがいた。この事件を起していたのはヤンとピーターという若者2人組。彼らは世の中の不公平に憤りを感じ、金持ちたちに警告を発していたのだ。この2人にピーターの恋人ユールが絡んでくる。時おり抗議運動にも参加する彼女は、以前金持ちの高級車と交通事故を起し、賠償金の支払いが日々の生活に重くのしかかっていた。生活のためには高級レストランでスノッブな客の嫌みにも耐えなくてはならないのだ。
そしてピーターの留守中にユールがレストランをクビになる。落ち込んだユールをなぐさめるために、ヤンは自分たちの秘密を打ち明ける。驚いたユールだが、勢いで2人はユールの賠償先の相手、会社の重役のハーデンベルグの家に忍び込み、家の中をメチャクチャにする。しかし帰宅したハーデンベルグと出合い、成り行きで彼を誘拐するハメに。困った2人はこのことをピーターに打ち明け、3人はハーデンベルグを車に乗せ、ベルリンから離れた郊外に身を身を潜める…。
歳をとってしまった僕には、彼らの抱く正義感や社会に対する行動が青臭くてもろいものだと感じてしまう。だからこの3人に対し、理解はできても共感できずにいた。しかしハーデンベルグという中年世代がこの3人に加わってから物語は厚みを帯び始め、また、映画を見ながらさまざまな思いが頭をよぎった。社会で成功し、プール付きの邸宅に住むハーデンベルグは、70年代にピーターやヤンも憧れる過激な学生運動組織の幹部だった。彼もかつては政府や権力に反抗していた若者だったのだ。かつての革命の闘士は、バブルを生んだ日本のビジネスマンたちのように、今度はそのエネルギーを資本主義の謳歌に向けた。転向したからといって悪人というわけではない。この元革命の闘士は自分をさらった若者たちに自分の昔を思い、シンパシーも感じ、4人は次第に打ち解ける。
60年代末、学生運動が日本を駆け巡っていたころ、僕は小学生だった。中学生になり、ようやく社会や政治に関心を持ち始めたころ、すでに大きな学生運動はほとんど終わっていた。パーティに遅れてきた気分だった。大勢で何かするという高揚感にめぐり合えずに、趣味の世界に入っていったからだろうか。いまだに大勢で一丸となって何かをすることに、抵抗を感じてしまう。バブル期に上の世代の人たちが「行け行けどんどん」していた時も、それに乗り切れずに過ごした。「今の時代のトレンドは、俺たちの世代が作り出している」と言う彼らの傲慢さにも反発を覚えた。正直に言って、今の日本をダメにしたのはこの人たちぐらいに思っている。
映画に話を戻すと、この山荘生活は若者3人の三角関係が原因で終わる。高い信念や理想も、恋や友情のもつれから崩れていく。しかしそうした未熟さを指摘できるのは、それは自分がそうしたことを繰り返したくない「大人」になったからで、かつては必死だったことがあるはずだ。今は現状や関係を維持するあまり、何ごともほどほどにしてしまう自分はいないだろうか。
失敗や挫折は人を大人にするが、それが常に正しい方へといくとは限らない。それに自分が失敗したからと言って、次の世代の若者も同じ失敗を必ず繰り返すと言えるのだろうか。「ああはなりたくない」といって、結局なりたくなかった大人になってしまい、「俺もそうだった。でもそうなるんだよ」と若者に語る。元闘士も若者たちの未熟さや熱意を懐かしむが、自分はもうそれには加われない。そして現状(=生活)を維持するためには、体制に逆らうものは排除しなくてはならないと考える。若者は最後に言う。「お前たちは変わらない(俺たちは変わることができる)!」。気持ちのいいエンディングだ。(★★★☆前原利行)
■関連情報
劇中に流れ、この作品の雰囲気に見事にマッチしているのは、故ジェフ・バックリィの名曲「ハレルヤ」。アルバム「グレース」に収録。必聴。