僕の初めての海外旅行はアメリカ。そしてもっとも長く滞在し、一番インパクトを受けたのはニューヨークだった。1984年の冬のことだ。マドンナは2枚目のアルバム「ライク・ア・バージン」で、音楽だけではなく、ストリートの感覚を取り入れたファッションで注目を浴びていた。プリンスも「パープルレイン」で注目されていた。佐野元春は前年、ほぼ1年間ニューヨークに滞在し、その新しいカルチャーをラジオで届けていた。キース・へリングを知ったのも、佐野元春経由かもしない。佐野元春がニューヨークで製作したヒップホップアルバム「VISITORS」は、当時の日本の音楽界の最先端だった。僕がニューヨークに着いて買ったヴィレッジ・ボイスでは、U2の新譜「焔(ほのお)」と共にまだ聴いたことがないバンドREMが大きく紹介されていた。滞在中には、ライブハウスRITZでスティングの初のソロライブが行われていた。そのころはまだポリスは活動中と信じられ、スティングが次の段階に進んでいるとは、誰も思っていなかった。ジャコ・パストリアス、ポール・バターフィールド、リック・ダンコはまだ生きており、僕は小さなライブハウスで、彼らの晩年のライブを楽しんだ。
80年代初頭は、それまでどちらかといえばインテリ、あるいはマニアのものだったアートシーンの中で、ストリートカルチャーが脚光を浴びていく時期でもあった。音楽ではヒップホップやMTVの登場、パンクもファッションとして取り入れられ、音楽ではマドンナ、アートではキース・へリングのように商業的に成功するものも現れた。バスキアが登場したのも、そのころだ。バスキア本人にももちろん才能はあったが、そうした波に乗ることによって、わずかな期間で大成功を収めたのだと思う。しかし20代前半の若者には、そんな自分を取り巻く環境をコントロールできず、ジミ・ヘン、ジャニスのようなロックスターのように、ドラッグに溺れ、若くして命を落とすことになる。
本作は、本人へのインタビュー映像や、多くの関係者たちの証言、当時の記録映像などにより、バスキアの短い生涯を追う、伝記ドキュメンタリーだ。驚いたのは10年にも満たない活動期間に、ドローイングも入れて2000点にも及ぶ作品を残したこと。たぶん、創作活動中が、もっとも彼の幸せな時間だったに違いない。(★★★前原利行)