日本に住むクルド人難民のカザンキラン一家が、難民認定を求め、裁判で争っていたこと、青山の国連大学前で難民認定を求めて座り込みをしていたことは、何となくテレビのニュースの片隅に残っている。その後、カザンキラン一家は強制退去させられるも、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の難民認定を受けることができた。しかし、その四ヵ月後、日本国は一家の父アーメットを捕まえ、強制国外退去にさせる。家族の核を失った一家は、やがてトルコへと戻っていく。
このドキュメンタリーの作者は、映画系専門学校に通っていた20代前半の青年・野本。とくに運動家でも専門家でもない。彼の言葉を使えば「一家に一番近かった傍観者」だ。「友だち」だか一家の支援もするが、支援家や弁護士といった人々とは一線を引いているのは、映された映像を見ていてもわかる。「運動」に冷めているのかもしれないし、及び腰なのかもしれない。また、何となくクルド人やナンミンについて、意識的に無知であろうとしたのかもしれない。ところがカザンキラン一家が日本からいなくなると、逆に「なぜ」「なぜ」「どうして彼らは日本で拒否されたのか」という思いが彼の中で強くなっていく。そして彼はトルコへと旅立つ。
トルコ。イスタンブールで会ったトルコ人は「クルド人はマフィア。東部へ行くのは危険だ」と言う。アンタルヤでは「彼らはテロリスト。そんなにトルコが嫌なら国を出て行けばいい」とも言われる。野本はクルド人の首都と言われるディヤルバクル、さらに東へと向かう。今度はトルコ人を嫌うクルド人が多い。「何のためにトルコへやってきた。外国人なのに」。野本にキツイ質問が飛ぶ。なかには差別なんかないというクルド人もいる。本心なのか。クルド人の子どもは屈託無く、「クルド語はよくない言葉」という。いろんな人に話を聞くが、それぞれの立場を言っているだけ。人の数だけ正論がある。点をつなぐような取材では、客観的に物事を見ることなんかできない。
野本は青年である。わからないことを武器に人々に聞いて回れる。しかし、それでもやはりわからない。なぜ、父親アーメットは日本に来なければならなかったのか。クルド人の政治組織の一員でもないのに。釈然としないまま野本は一家の住むニュージーランドへと向かう。再会する一家と野本。ここで野本の心がなごむ。問題は解決しなかった。しかし彼は行動し、他者と関わることで「傍観者でない自分」にたどり着いた。
問題意識を強く打ち出したドキュメンタリーは多いし、また秀作も多い。しかし本作の魅力は別なところにある。人生の過渡期にある青年が、他者との関わりあいを考えていくロードムービーだ。そういったアプローチも悪くない。そして、そこからも「日本」というものが浮かび上がって見えてくるのだ。(★★★前原利行)