大傑作『オープン・ユア・アイズ』を観て、すっかりファンになったスペインのアレハンドロ・アメナバール監督。自作映画の作曲もするという才人で、次のニコール・・キッドマン主演の『アザース』は、同じジャンルでは『シックス・センス』をしのぐ仕上がり。続く『海を飛ぶ夢』は、正攻法すぎて僕にはまあまあだったが、世界的には各賞を受賞するなど、一流監督の仲間入りに。その彼の新作がこの本作だが、あまり話題にならず、日本もは2年遅れの公開となった。出来が気になるところだが、映画を観て、なんとなくその理由がわかった。出来が悪いのでない。内容が、“しょっぱすぎる”のだ。
舞台はローマ帝国末期のアレクサンドリア。ローマ史劇といえば、たいていキリスト教徒が迫害を受ける、帝国初期か全盛期を舞台にしたものが多く、キリスト教が公認された末期の時代を描いたものは、ほとんどない。世界史的にも、ほとんど注目されない時期なのだ。さて、アレクサンドリアには世界の七不思議のひとつと言われ、ギリシャ時代から続く“図書館”があった。ここには当時の世界の叡智が集められ、アリストテレスやらプトレマイオスやら、古代ギリシャに始まった学問が健在だった。映画の主人公ヒュパティアも実際の人物。女性の哲学者という存在が当時でも(いや今日でも)珍しい。映画同様、彼女はとくに宗教の派閥に属していたわけではないが、その姿勢自体が“反キリスト”的であり、打倒すべき存在になってしまった。科学を追及すれば、宗教の教えと合わないことも出てくる。その場合、真実を追究すればするほど、宗教原理主義者からすれば、敵になってしまうのだ。
古代史ファンの僕としては、再現された古代の街並のリアルさも見事ながら、ここで描かれるテーマは非常に今日的で、観ていて辛くなる瞬間が何度もあった。ハリウッド製史劇の、ほぼ100%は観客が喜ぶように、最後に戦いのシーンを持ってきている。本作でも、いちおうスペクタクル的なシーンはあるものの、主人公たち側がほぼやられっ放しなので、スカッとはしない。第一、この映画は古代を描いているが、そのテーマは現代世界(にも通じる)であることは明白だ。宗教の不寛容さが、人類を学問から遠ざけ、他者への憎しみを生むと、明言しているのだ。映画ではキリスト教徒だが、現代ではイスラーム原理主義者によるテロリズムが世界の脅威となっている。無宗教の僕としては、宗教を信じるも自由、信じないのも自由、宗教を人に強制するのは「悪」、人に強制を強いてウソを正しいとし、迫害する宗教は「極悪」という思いだが、世界史を学び、仕事柄、キリスト教やらイスラームなどを勉強すると、人類の歴史はその繰り返しでうんざりする。偏狭な宗教原理主義に対して、「NO」といわなければ、やがて表現の自由はなくなるだろうという危機感が、作り手にはあるのだ。
「神の名において」人は人を迫害する。便利な言葉だ。何も宗教を信じているからといって、みな過激派ばかりではない。この映画の中にもヒュパティアの生徒である穏健派キリスト教徒が登場する。が、穏健派は多数であっても、最終的には役に立たないのだ。しょっぱい。ヒュパティアを慕う奴隷の青年も、彼女を救うことはできない。しょっぱい結末だ。宗教でも政治でも、正しいものではなく、声がでかい人がまかり通る。そんな現実に「NO」を突きつける思いで、この映画は作られたのだが、僕としては無力感を感じて(つまり2000年たっても人間はバカってことで)、悲しいので☆ひとつ減らしました。(★★★前原利行)