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クライブ・フランスの救援活動報告

4月16日早朝4時45分に東京を出発。天気予報では雨になるとのことだったが、空は藤色に霞んでいて降りそうにみえなかった.東北自動車道は思いのほかスムースに流れていて11時半頃には気仙沼に着いた。

この週の初めに「全青協」の神仁師を紹介され、これまで私たちが重点的に活動してきた気仙沼地区の避難所についてお話を伺っていた。全青協は仏教系の財団法人で、青少年の健全な育成を目指して設立された。師からはこれまでの訪問地に加え、市の南部の2寺院への支援をアドバイスされていた。それぞれ250名と45名の被災者が避難されているとのことであった。

津波の被害を免れたファミリーマートで道を聞きながらどうにか清涼院に辿り着いた。ここには20名あまりしかおられなかったが、清涼院は近くの寺の250名の避難者も支援しているとのことだった。

対策本部長の菊池トシオさんにお会いした。菊池さんはてきぱきと仕事をされる有能なリーダーで、持ってきた品物を大変喜んでいただけたようだった。お互いの電話番号を交換してそこを辞したのだが、最初の訪問地で仕事がスムースに運んで良かった。

次の訪問先である海蔵寺はそこからさほど遠くない場所にあった。来訪を告に正面玄関に向かって歩いて行くと責任者が床に胡坐をかいていて、その周りを真新しい靴下の足がいくつも囲んでいるのが見えた。

45名の避難者の大半は典型的な日本のオバサン達で、欲しいものをよく知っていた(要するに何でも!)。これまでの訪問で、東北人の寡黙で控え目な気質に触れていたので、男物の下着、チョコレート、子供靴、サンバイザ、缶詰、タオル等々、彼女達が手当たり次第にかっさらっていく光景は新鮮に見えた。

 

ここを仕切っているのはべべリンというフィリッピーナで、私は最初ボランティアの人かと思ったのだが、実際は津波で家を失って日本人の夫と息子さんとこの寺に避難していたのだった。

持って行ったサッカーボールは大人気だったのだが、子供5人にボール3個はちょっと贅沢と思ったので1個返してもらった。

 

清涼院と同様に海蔵寺は電気も水道も回復していなかった。ただ近くに小川が流れていて、そこで洗濯をし、ちょうど建設中の風呂場の水もそこから引いてくるそうだ。大工さんに聞くと風呂場は来週には出来上がるとのことだった。風呂はまきで焚いて、その水はリサイクルするそうだ。おびただしい数の倒壊した家からの木材は被災地では豊富な資源だ。

東京に戻ってからべべリンから電話があって、シャンプーやコンディショナ、ボディーソープが欲しいと言ってきたので、どうやら風呂場は開業したらしい。

海蔵寺から一旦引き返して浄念寺に向かった。ここは3度目の訪問だが、寺の前に風呂の仮設テントが出来ていた。後ろには大きな貯水タンクと発電機がある。前回来た時にすでにあったものだが、今は大きな余震で電気が止まった時だけ使うそうだ。浄念寺の備えはこれまで訪れた避難所の中では最も充実していて、避難者からの要望は訪問するたびに少なくなっていて、今回も例外ではなかった。

次に、「子供寺」の鏡福寺に移動した。住職の奥さんが笑顔で迎えてくれたが子供の姿は一人しか見えなかった。電気が通りだしのでたぶんほかの子供達はテレビの前にいるのだろう。ここで大半の積み荷を降ろした ・・・ 寄付していただいた教科書2箱、チョコレート、おからドーナッツ、フルーツジュース、肉の缶詰、サンバイザ、玩具、文房具、子供用靴下や洋服等々。住職の奥さんから次回のリクエストとしてパスタ、パスタソース、コンビーフやソーセージのご注文!

夕暮れの中、気仙沼市民会館に行き、そこで先週頼まれた折り畳み傘160本を降ろす。次回はペーパーハンドタオルを出来るだけ沢山持ってきてほしいとのこと。この他、辞書、下着類、長靴などを頼まれて東京への帰路に着く。

次回は、構成を変えて4月23日に再訪することにしている。


 4月9日(土曜日)早朝5時半に東京を出発。この日は雨で東北自動車道も渋滞していたので一関ランプを降りたのは10時半を回っていた。

 陸前高田の対策本部に車を走らせた。そのセンターには大量の救援物資が集められ整然とストックされていた。渡されたリストや地図によると周辺には多くの避難所があり、ここから食料や医薬品等が配送されている。裏手には大きな倉庫があり、自衛隊員が忙しく物資の箱を積み上げていた。向こうにテレビ局のものとはっきり分かるトラックが並んでいた。

 ここに来る途中で被災した病院に立ち寄ったのだが、それは津波で一面干潟のようになった中で数少ない建造物である。通りがかった人の話では、被災時に屋上に辿り着いた人だけが助かったそうだ。建物の内部は垂れ下がった配線が散乱し、部屋はゴミの山だった。上層階の窓からは木の幹が丸ごと突き出ていた。

 気仙沼の外側の小川にトラックやトロール船など津波の残骸がころがったままになっている。皮肉なことに、それが次の目的地である浄念寺に行く時の目印になった。浄念寺は先週訪問した場所で、野菜などの食料を頼まれていたのだ。

 持って行った品物の中からボランティアの人達が必要なものだけを選り分け、近くの興福寺にも行かれたらどうかと遠慮がちに勧めてくれた。そこにもかなりの数の人が避難されているとのこと。

 興福寺に着くと子供たちが寺の鐘を撞いていた。私が住職の奥さんに事情をお伝えすると大変喜ばれたようであった。奥さんは私の後から手押し車をひいてバンの所までやってきた。子供たちはそのあとからついてきたが、見知らぬ外人が何を持ってきたかと興味津々のようであった。手押し車が満杯になると子供たちは両手に持てるだけ持って運んでくれた。私は欲しい物のリストを奥さんから受けっとった。鉛筆、ノート、練習帳などなど…… 。それらは、おそらく大半が孤児になってしまったであろうこの子供達の学用品だった。

 興福寺を出ると私たちは気仙沼の沿岸部に車を走らせた。日は暮れ始め少し寒くなってきた。壊滅の現場を目で見、肌で感じようと車から降りて周囲を歩いてみた。それはまるで映画のセットのようだった。トロール船が押しつぶされた車に乗っかって路上に直立している。建物という建物はすべて崩壊。車はと言えば巨大な波にさらわれて信じられない場所に鎮座している。

 夕闇の中、通りをゆっくり走りぬけると先週訪問した市民会館が見えてきた。残っている積み荷の多くをここで降ろす。この会館には250名の方が避難しており、物流センターにもなっている。荷降ろしをしている最中に余震が来て作業を一時中断した。大きな揺れではなかったが震源地が近いのではないかとひやひやした。

 最後に、連絡をしておいた近くの宝鏡寺を訪れた。あいにく住職が不在だったので手紙を託し、持ってきた残りの品物を現地のボランティアグループが集めた物資の中に加えてもらった。

 1,000km強、22時間の旅程を終え、日曜日の午前2時に東京に戻る。

クライブ・フランスの活動報告(英文)
http://tohokuaid.wordpress.com/

 なお、今回の地震をテーマにした写真展が開催されます。クライブさんをはじめとした写真家の作品が展示されます。詳しくは告知板をご覧ください。