添乗員奮戦記
岡崎大五
イラスト◆グレゴリ青山
定価:本体価格1500円+税
(税込価格1575円)解説
旅行人の本
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購入方法
疾走サハラ珍事件発生
車が来ない。
20分待ち、30分待っても残り1台の車が来ない。
いったんは8時に顔をそろえた3台のランドクルーザーが、そのうち2台は荷物を積みに行ってから15分ほどで戻ってきたが、あとの1台が姿を見せない。
ガイドと、すでにやってきている2台の車のドライバーは、腕組みをしながら真剣な眼差しでずっと協議している。
ぼくはお客に事情を説明しなければならなかった。さあ出発だと一度は腰を上げさせて、だけど車がいなくなっちゃいましたでは話が通らない。お客は全員ホテルのロビーで待っている。
外は燦々と太陽が降り注ぎ、まぶしくて仕方がないくらいだが、そんな外とはうってかわってロビーの中は薄暗い。
そこでお客たちは暗い目をしながら、ぼくの事情説明をじっと待っているにちがいない。
まだツアーは始まったばかりなのだ。セネガルのダカールには2泊したが、昨日、ここマリのバマコまで飛行機で飛んできて、いよいよ今日から旅行が本格化する。こんなところでつまずくわけにはいかなかった。
かつて黄金の都と呼ばれたトンブクトゥーでの滞在、独自の宇宙観と宗教観をもつといわれるドゴン族の村の見学、泥のモスクが美しいジェンネでは月曜市を見ることになっている。
でも実は、このツアーの最大の魅力は、それら訪問地をすべてランドクルーザーで走るということなのである。それもテントを持ってサハラ砂漠を走るのだ。
なのに車が来ないのではどうしようもない。3人の会話がいったん途切れたころあいを見計らって、ぼくはガイドに事情を訊く。
すると彼は、縮れ毛の頭をブルッと振って、
「ハーッ」
と深いため息をついた。そして、左右にいるドライバーを交互に見ながら、
「彼は車を洗っているにちがいないと言うし、こっちは車が故障したんだと言い張るんですよ」
と言った。
2人のドライバー、左側にいるのは50歳くらいの痩せこけたおやじ、右側にいるのは20代後半の筋肉質の若者である。2人とも英語はほとんどできないが、雰囲気でいまの会話の意味を察知したらしい。目を輝かせて胸を反らしている。
つまりは、2人とも「私の意見の方が正しいでしょう?」といった素振りで、小学生が先生にするようにぼくに評定を求めているのだ。ただ2人の意見は確かな情報ではなく、あくまで彼らの推測にすぎなかった。なぜなら、ドライバーとガイドの3人は、来てからずっとぼくの隣で喋っていただけだからである。
今度はぼくが「ハーッ」と深いため息をついた。
君たちはそんなことを言い合っていたんだね……。
ぼくの気落ちを察してか、ガイドのモンが強い調子で口を開く。
「私としては荷物が置いてある倉庫が遠いから、それで時間がかかっていると思うんです」
「倉庫はどこにある?」
「それは……、知りません」
「あっ、そう」
ぼくは日本語で気のない返答をした。
首都とはいってもこの小さな町で、荷物を積むのにそんなに時間がかかるとは思えない。現に他の二台は早々に帰ってきているのだ。しかもその情報を彼が確認した様子もない。
どいつもこいつも……。怒りを通り越して腹に力が入らない。
聞きたいのは推測ではなく事実なのだ。
車は来るのか来ないのか。来るのならあと何分で来るのか。来ないのなら新しい車を手配しなければならない。思いつきの憶測ばかりくっちゃべってないで、情報を収集して具体的な善後策を立てる必要がある。
そしてお客に事情を説明し、陳謝し、見通しを語った上で気持ちをやわらげてもらわなければいけない。これは添乗員としてのぼくの仕事である。
ぼくは腹に力を入れ直した。
「エージェントに電話したのか?」
「いいえ、まだ……」
「だったらいますぐ電話して。新しい車を用意してもらってくれ」
「でももうすぐ……」
「もうすぐって、もう8時45分だぞ」
「もうすぐ来ますから。荷物を積んで」
モンは主張する。でももうすぐ来る根拠はどこにもない。
「……なら九時までな」
仕方なくぼくは妥協した。するとホテルの表通りをスーッと待ちこがれている車が通った。
モンは、「ほーら、見てみろ」というふうにぼくに一瞥をくれると、ホテルの反対側に止まった車めがけて走って行った。
摩訶不思議なことである。
電話をした様子もなく、ただドライバーたちと当てにならない話ばかりをしていたはずの彼が、どうして予測できたのか。あるいはただの偶然なのか。
彼は3人の中では一番小さく、一番真っ黒な顔をしている。それはどうでもいいことだが、彼だけがドゴン族である。独特の世界の中で暮らすドゴンの人は、もしかして予知能力を持っているのか。
小柄で敏捷そうな走りをみせるモンの姿を目で追っていると、単なる偶然とは思えなくなるのだった。
見事な青空の下をモンが息せき切らして戻ってきた。白い歯がやけに白くみえる。
着くなり彼は顔をしかめ、そして、
「アハハハ……」
と頭に手を添えて力なく笑った。
「あいつ、行きたくないって言っているんですよ」
顎を向けた先には何の感情も表さないランドクルーザーが止まっている。モンは怒るべきなのか悲しむべきなのか、どちらかわからないといった表情である。
「ああ、そうなの。……アハハハ」
とぼくも力なく追随した。
行きたくないから行かないなんてことが、直前になって通用するのか?
それにこれは仕事だぞ。契約はどうなる? それでいいのか? と思いながら、いいならいいよな、まったくそれは、という結論になる。
完全に腹の力が抜けた。
予知能力なんて持っているわけないんだよ。モンだって現代人なんだから。車が来たのはたまたまだ。事実荷物は積んでいなかった。
ともかく出発できないことはわかったのである。
「そんなこともあるんだねえ、アハハハ」
開いた口が塞がらないまま、しばしぼくは惚けていたが、フッと、暗闇で待つ20の瞳が、獣の目のように光っている場面を思い描いて血の気が引いた。お客の面々がこめかみをヒクヒクさせていたらどうしよう……。
新しい車の手配をモンに頼むと、ぼくは口を結んで振り返り、薄暗いホテルのロビーに向かって歩きはじめた。