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アジア雑語林(210) 2008年1月17日
DVD版「快傑ハリマオ」を買ったぞ
この欄で、往年のテレビドラマ「快傑ハリマオ」の話をたびたびしてきた。ドラマ関連の資料を読むと、東南アジアロケをやったことはわかっているから、どう
いうアジアが写っているのか見てみたかった。DVDも発売されているから買えばいいのだが、1話が13回分あって全5話。DVDは1話が4枚で計3万円ほ
どする。3万円だして買うほどのことはないなあと思っていたが、2006年から事情が変わってきた。
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アジア雑語林(209) 2007年12月27日
池澤夏樹の「世界」は、こんなもの 河出書房新社が今度出す「世界文学全集 全24巻」は池澤夏樹の個人編集を謳っている。何人かの編集委員が収載作品を選ぶのではなく、池澤夏樹たったひとりに作品選定を任せましたという「世界文学全集」だ。
さあ、どうです。アジア人作家はふたりいる
が、「戦争の悲しみ」は、いろいろ問題を指摘されてきた井川一久訳だから、英語版からの重訳のはずだ。「アフリカの日々」にしても、「愛人ラマン」にして
も、西洋人が見た植民地のアフリカでありインドシナだ。第1集の12巻17作品のうち、アジア文学2作品、アフリカ文学2作品が収められている。これが第
2集になると、アジアとアフリカの代わりにほんの少し南米を加えた構成で、圧倒的に西洋中心であることに変わりがない。
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アジア雑語林(208) 2007年12月19日
1970年代のミニコミと建築家 1970年代はミニコミの時代だったような気がする。60年代まではガリ版印刷が中心
だっただろうが、70年代に入ると、活版印刷や表紙にカラー写真を使ったものまで登場するようになった。こうなると、ミニコミとは言い難く、しかしマスコ
ミと呼べるほど大部数を発行しているわけでもなくという雑誌が出てきた。
この2冊の著者は、鈴木喜一。偶然の同姓同名でない限り、建築家の鈴木喜一氏だ。私は雑誌「旅行人」の季刊化第1号の建築座談会で、光栄にもお会いしたことがある。著書も愛読している。
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アジア雑語林(207) 2007年12月7日
1958年、東京の外国料理店(2)日本最古のタイ料理店 1958年に出た『この国あの国 ——
肴になる話』(向井啓雄、春陽堂出版)を読むと、東京にはじつに多くの外国料理店があるらしいとわかる。そこで、1958年の東京の外国料理店事情を調べ
てみようとしたのが前回で、「タイ国料理」の店だけをまだ積み残している。偶然ではなく、もちろん意識してやったことだ。
タカイというのは、タックライ(レモングラス)、バイマックはバイ・マックルート(コブ
ミカンの葉)のこと。「トムヤムクン」などと、このタイ料理をカタカナ表記したのも、もしかして、この本が日本最初かもしれない。料理はだいたい1皿
200円。デパートの地下でサンドイッチとコーヒーで80円。天丼が100〜150円くらいした時代だ。
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アジア雑語林(206) 2007年11月27日
1958年、東京の外国料理店(1)イタリア料理店やドイツ料理店など 向井啓雄が書いた『この国あの国 ——
肴になる話』(春陽堂書店、1958年)を古本屋で手に入れた。向井の本は、インターネット古書店の目録で、『とつくにびと ——
風變りな旅行者』(文藝春秋新社、1956年)で初めて知った。海外旅行記なのだろうが、あまりおもしろそうではないので、注文をしなかった。この本を古
本屋で安い値段で見つけ、そのとなりに同じく向井の『この国・・・』があり、ついでに買ったというわけだ。著者紹介によれば、向井は国際文化会館勤務とい
うから、鶴見良行の同僚だったということになるのだろうが、鶴見とはまったく違う世界の本だ。
この本は1958年、昭和33年の出版だということを忘れないで欲しい。戦争が終わって13年、東京にはすでに外国料理店がいくらもあったらしい。その頃の各国料理店事情を探ってみようというのが、今回の趣旨だ。
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アジア雑語林(205) 2007年11月13日
ある読者が、じつは訳者で、名訳を・・・ アジア文庫のこのページや、小冊子「季刊 アジア文庫から」で「活字中毒患者のアジア旅行」というエッセイを連載しているが、読者のことはまるでわからない。読者はそれほど多くないことはわかるが、どういう人たちが読んでいるのか、もちろんわからない。
土橋さんからの手紙は、私が「季刊 アジア文庫から」に書いた、タイのピブーンソンクラームの最晩年のころのエピソードに関するものだった。
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アジア雑語林(204) 2007年11月5日
ビルマ小説『漁師』 さて、ビルマの小説『漁師』(チェニイ、河東田静雄訳、財団法人大同生命国際文化基金、
2007、非売品)だ。この財団が出している「アジアの現在文芸」シリーズは、市販はされていないが、大きな図書館などにあるので、借りて読むことは出来
る。日本語への翻訳では、タイ篇は13冊、マレーシア篇が4冊、インドネシア篇が5冊、ビルマ篇6冊、ラオス篇が1冊、ベトナム篇3冊、カンボジア篇が2
冊、パキスタン篇が7冊、インド篇6冊、バングラデシュ篇が1冊でている。このほか、日本語からさまざまなアジアの言語に翻訳された日本の本もある。 ■「尿意を催した彼はへさきの端にしゃがむと、湖を守護するナッの神々に、どうか、怒らないで下さいと断ってから、薬缶から水を注ぐように小便をした」(P12) しゃがんで小便をしているのは、小舟に乗っているからだとも考えられるが、ロンジーという腰布を巻いているせいでもあるような気がする。足首まである腰布を巻いている文化圏では、立小便はあまりしない。
小便のことだって、調べればおもしろそうなネタはどんどん出てくる。僧に限らず仏教徒に は不殺生の戒律があるなかで、漁師は差別されているというのが、この小説のテーマのひとつである。植物に小便をかけてはいけないのは、そこに虫がいると殺 してしまうからだが、そういう世界で、日常的に魚を食べている普通の人々が、魚をとることを職業にしている人々、つまり漁師を差別しているのである。僧は 魚も肉も食べていいが、虫さえ殺してはいけないというのが、この地域の仏教だ。深い関心のある人は、本を読んでもらうとして、次に行く。こんどは食べる 話。 ■「残り飯に魚醤油をかけて握り飯にして葉に包んだ弁当を手に提げて家を出た」 これで、貧乏漁師の弁当がどんなものかわかる。ビルマの飯は、タイのうるち米よりもやや粘りがあるような気がしていて、それならば握り飯にできるわけだ。これが人間の飯だが。魚の餌は、こうなる。 ■「針を曲げて作った釣針に、粘りが出るまでこねた米飯に魚醤と米糠を混ぜて固めた餌をつけていた」 川のある場所に魚を集めるには、まず川にタマリンドの枝を沈め、魚が集まってきたら、米糠をまくそうだ。
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アジア雑語林(203) 2007年10月29日
雑語林の誕生 この欄のエッセイが200回を越えているので、記念というわけでもないが、私の考え方を書いておこうと思う。
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アジア雑語林(202) 2007年10月20日
石森章太郎の海外旅行 その3 3カ月の海外旅行を終えて2年後、石森は旅行記を出版した。『世界まんがる記』(三一書房、1963年4月)は、のちに同じ書名のまま中公文庫に入った(1984年)。今回はこの旅行記をネタに話を進める。
当時の普通の日本人にとって、海外旅行など生きているうちにできるとは思えないものだったが、売れっ子マンガ家になった石森には、23歳ではあっても、無理をすれば可能な選択肢のひとつに入った。
こういった資料をいくつか読んでわかるのは、東京23区でも練馬区あたりなら、駅から近
い土地でも、坪数万円で買えたことがわかる。交通が不便な土地なら、1万円未満でも買えた。石森の全旅費が300万円だったとすれば、100坪くらいの土
地が買える金額に相当する。家の建築費にも300万円かければ、ちょっとした豪邸になっただろう。石森の海外旅行というのは、そのくらいの金銭的価値が
あったということだ。
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アジア雑語林(201) 2007年10月11日
石森章太郎の海外旅行 その2 石森の海外旅行話を読んでいて、「旅費の不足分が200万円というのは、いくらなんでも費用のかけすぎではないか」という疑問から、今回の文章を書いてみようと思ったのである。
国によって物価は違うが、1日最低15ドルあれば、宿泊費・食費・交通費その他をなんとか賄えるという目安である。もちろん、遊興費やみやげ代は別である。
インドネシアが「物価の高い国」に入っているのは、ホテル代がドル払いで、しかも異常に高額に設定してあるせいだ。フィリピンに関しては、事情がよくわからない。
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