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アジア雑語林(190) 2007年7月11日
外国語の教育史
以前、外国語学習の日本史を知りたくて、ちょっと調べたことがある。幕末に蘭語から英語に変わっていく事情は多少知っていたが、明治に入ってからが茫洋と
していてよくわからない。そこで、東京外国語大学の資料を読んでみたのだが、『広辞苑』のように厚い資料をバッタバッタと読み始めたものの、あまりに詳し
すぎてよくわからなかった。連続する組織再編に、私の根気と好奇心がついていけなくなったのである。 こうしたこまごまとした資料をもとに、さまざまな言語の教育史を知りたい。例えば、『東 京外語支那語部 —交流と侵略のはざまで—』(藤井省三、朝日選書、1992年)という本がある。こういう傾向の本で、現在までの「中国語と日本人の歴 史」や「朝鮮語と日本人の歴史」を知りたいのだ。現実でもイメージでも、1950〜60年代に朝鮮語や中国語を学んでいた者は共産主義者だと思われてい た。あるいは朝鮮語がわかると、「在日」だと思われていたり、タイ語やタガログ語ができると「女遊びに精出す人」だと思われていただろう。そういうイメー ジも含めて、日本人の外国語教育・学習史を読んでみたいのである。
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アジア雑語林(189) 2007年7月3日
『地球の歩き方』とアーサー・フロマー その2 アーサー・フロマー(Arthur Frommer)は1931年、ニューヨーク生まれ。ニューヨーク大学でジャーナリズムを学んだあと、エール法科大学院に進み、「エール法律ジャーナル」の編集者となる。
1957年に自費出版した本が、わずか数年でかくも普及したとわかる文章だ。1979年に『地球の歩き方 ヨーロッパ』が発売されるまでは、日本人もこのシリーズを使っていたのだ。 1963年 『ヨーロッパ(1日5ドル)の旅』(アーサー・フロンマー著、信木三郎訳、日本評論社)
1980年代に団塊ジュニアたちを外国に連れ出したのは、生協ツアーと、DTS(ダイヤモンド・スチューデント・ツアー)だ。生協は、1981年にフロ
マーの翻訳を出し、DTSは79年にフロマーを翻案した『地球の歩き方』を出したあたりが、なんとも興味深い。リクルートはツアー路線のまま、ツアー広告
雑誌「AB−ROAD」を刊行して、バブル景気に乗って、海外旅行者数1700万人時代へと突入していく。
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アジア雑語林(188) 2007年6月26日
『地球の歩き方』とアーサー・フロマー その1 今回は、雑語林186号の続編ということになる。
この短い文章だけでも、頭の中が疑問符でいっぱいになってしまう。1970年のモスクワの書店に、ヨーロッパ旅行の英語のガイドブックを売っているかね?
当時、ソビエト人は自由に海外旅行などできないことは周知の事実。では、外国人に売るために英語のガイドブックを輸入していたのか。不自然だが、もしそ
うだとしても、高額の税金がかかっていたはずだから、西欧で買える本をわざわざモスクワで買うというのはおかしい。
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アジア雑語林(187) 2007年6月17日
ガイドブックで紹介される国々(3) いずれ調べてみたいと思っているテーマに、「日韓関係と旅行の歴史」というのがある。まだなにも手をつけていないので、すでに誰かが調べているかもしれないが、それならそれで結構、自分で調べなくてもすむから楽ができる。
パントラベルガイドというのは、すでに忘れ去られたガイドブックかもしれない。じつは私
も、昔から知っていたガイドではない。アジア文庫の小冊子「アジア文庫から」に連載しているわがエッセイ「活字中毒患者のアジア旅行」で、アジアの古いガ
イドブックをお持ちの方はゆずってくださいと、だいぶ前にお願いしたことがある。
パン・ニューズ・インターナショナルという会社は、1985年8月刊の『芹沢博文の娘よ』を最後に、出版界から姿を消している。どうなったのか、その後の噂を耳にしない。
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アジア雑語林(186) 2007年6月11日
旅行ガイドブックで紹介される国々(2) 「地球の歩き方」は1979年に初めて姿を見せた。『地球の歩き方 ヨーロッパ編
1980年版』と、『地球の歩き方 アメリカ・カナダ・メキシコ編 1980年版』の2冊で、ダイヤモンド・スチューデント友の会編著、ダイヤモンド・
ビッグ社発売だった。細かいことだが、85年秋からは、現在のように地球の歩き方編集室編、ダイヤモンド・ビッグ社発行、ダイヤモンド社発売となる。じつ
は。もう少し複雑な経緯があるようだが、まあ、これでいいことにする。
さて、このリストを読んでみよう。他社のガイドブックシリーズとの違いは、「ハワイ」よ
りも早く、第3巻目として「インド」が登場していることだろう。その理由はふたつある。まず、このガイドブックのシリーズが、若者向け格安旅行のガイドと
して創刊されたことだ。そのため、ツアー客相手の当時の旅行ガイドとは、まったく違うラインアップになっている。もう一点は、編集者が元々リュックサック
を背負って旅した若者だということで、やはり従来のガイドブック編集者とは違う旅行体験をしていることだ。そういう経歴が、オーソドックスなガイドブック
とは違う国選定をしている。
1985年当時の日本人訪問者数ベスト5の国で、地球の歩き方がカバーしているのは中国
だけである。地球の歩き方と当時の若者は、アジアを嫌っていた。そう思う。嫌っていた理由は、当時のアジア、東アジアや東南アジアは「おっさんの売春旅行
地」であり「農協のおばさん、おじさんのみっともない団体旅行地」というイメージが、当時の若者にも出版社側にも、濃厚にあったからだ。だから、若者向け
のガイドブックとしては、アジアは敬遠されたのだ。そういう時代の雰囲気を、私は旅行者として実感している。
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アジア雑語林(185) 2007年6月3日 旅行ガイドブックで紹介される国々(1) ある出版社が、海外旅行ガイドブックをある程度まとめて出すとする。例えば第一期10冊
出すなら、どういう国を、どういう順序で出すかを考えるわけで、それは当然、売れるだろうと思われる順に選定しているはずだ。売れる順は、一般的にいえ
ば、日本人訪問者数が多い国や地域が優先される、はずだ。 ■ダイヤモンドハンディガイド 世界の都市シリーズ
この8冊のラインアップを眺めて、旅行に多少なりとも興味や知識がある人は、「なんだ、
この選定は?」と首をかしげるに違いない。ハワイ、韓国、フランスが欠けているのに、北欧が入っている。ということは、8冊ではなく、もっと出ていたので
はないかと思われるのだが、確認のしようがない。オランダや北欧が入っているのは、KLMやSASが協力したのだろうかなどと考えてみるのだが、よくわか
らない。
初期のブルーガイド海外版は、実質的には日本航空執筆、実業之日本社編集・発売といった
体制だったので、日航やジャルパックの営業と連動している。「世界一周 空の旅」という本が出たのは、1967年に日航が世界一周便を飛ばしたからだ。
「メキシコの旅」は、68年のメキシコオリンピック関連で登場している。
この数字は各国の政府観光局の調査をもとに、日本の国際観光振興会がまとめたものだが、 なぜかフランスの数字が「不明」になっている。1970年代以降の資料で見ると、フランスに行った日本人はイタリアに行った人よりやや多いというくらいな ので、暫定5位がフランスかもしれない。
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アジア雑語林(184) 2007年5月24日
ガードマンの海外渡航(2) ザ・ガードマンのシリーズに海外ロケをしたものがあると知ったのは、DVDの紹介を見た からだ。「TVシリーズ・リバイバル 『ザ・ガードマン』海外ロケセレクション(1)」(発売元スパック)というのがあるそうで、海外ロケをした6作が セットになって収められているらしい。DVDの解説によると、以下のようになる。
このDVDは2003年6月にでているが、続編の(2)が出た形跡はない。そこで、全350話から、タイトルに外国の地名などが出てくる作品のリストを作ってみたくなった。タイトル名だけから選んだので、海外ロケ作品かどうかはわからないが、一応参考までに。
こうして、リストを作ってみたら「な〜るほど」とわかってくることがある。ヨーロッパの
なかでは観光地としてはマイナーなアムステルダムがタイトル名に入っているのが4作ある。ということは、ザ・ガードマン海外ロケのバックには、KLMオラ
ンダ航空がついていたと想像できる。そのあたりをインターネットで調べると、出演者がKLMのショルダーバッグを肩にして登場というシーンもあるそうで、
私の勘は大当たりらしい。
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アジア雑語林(183) 2007年5月15日
ガードマンの海外渡航(1) 私はどうやら虚構というものが苦手らしい。小説を読まないだけではなく、テレビドラマも
ほとんど見ていない。とくに、ウソ臭いことで知られる大映テレビのドラマ(だから大好きという人もいて、とにかくアクが強いものが多い)は、まるで受けつ
かない。子供のころから、学園ものが嫌いということも関係しているのかもしれない。
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アジア雑語林(182) 2007年5月6日
青江三奈から始まって(2) わかれの空港 歌謡曲の世界で、わかれの場といえば、1960年代までは波止場、港、駅だろうが、70年代に入ると空港になるのだろうか。海外旅行史研究者としては、歌謡曲のなかの空港が気になっていた。
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アジア雑語林(181) 2007年4月29日
青江三奈から始まって(1) 国際線待合室 録画したままになっていた青江三奈の特番(NHK・BS)をやっと見た。青江のファンと
いうわけではないが、あのハスキーボイスは好みで、この番組を機会に、彼女の全貌を聞いて見ようと思ったのである。ヒット曲や、ニューヨークで録音した
ジャズなどを聞いたが、どうもしっくりせず、あらためてCDを買おうという気にはならなかった。元クラブ歌手というのは、器用だが個性に欠けるという難点
がある。
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