アジア雑語林(151)〜(160) |
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アジア雑語林(160) 2006年10月12日
色香に惑う少年 1963年。
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アジア雑語林(159) 2006年10月3日
海外旅行と植草甚一の時代 インターネットで検索していて、もっともよく出会うサイトは、じつはこの雑語林なのであ
る。私がもっとも知りたい方面の事柄を探せば、この前川がもっとも関心がある事柄を書き続けているこのサイトがヒットするのは当たり前といえば、当たり前
なのだが、苦労して検索していて、結局出会うのは自分の文章かよと思うと、「徒労」という語が頭に浮かぶ。
64年に創刊された「平凡パンチ」の社外モニターをやっていたというきっかけで、旅行代理店をやめた石川は、平凡出版に入社する。
ヒッピーの時代のアメリカはやがて姿を変え、石川も別の雑誌を考える。ベトナム戦争が終わって、反抗や抵抗する相手がなくなり、自分を見つめ直そうと考えた。自転車、ジョギング、短髪の、クリーンなアメリカの若者。そういうアメリカを反映した雑誌が、「ポパイ」だった。 次は、時代がもう少し前の話。話すのは渡辺貞夫(1933〜 )だが、引用ではなく、要約。
アメリカに渡った渡辺は、学校が始まるまでとりあえず秋吉宅に居候させてもらい、仕事も世話してもらった。餞別にもらった20万円は日本に残した家族の生活費に置いてきたから、アメリカで稼ぐ。
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アジア雑語林(158) 2006年9月26日
昭和30年代ブームを疑え 「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画が大ヒットしたらしい。進駐軍兵士となった日
系アメリカ人2世の物語でもないのに、英語の題名をつけるその植民地根性、英語かぶれ思想が気に食わない。輸出時の英語タイトルというわけではなく、日本
人向けに公開するする日本映画に、「英語を使えば、かっこいいだろ」という発想が、恥ずかしく、嘆かわしいのだが、今回は英語の話ではない。いや、たった
今思い出したことがあるので、ついでに書いておこう。恥ずかしい英語と映画の話だ。
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アジア雑語林(157) 2006年9月15日 【追記】 9月19日
「沈没」なる語について いままでにその名を聞いたことが一度もないのだが、同朋大学という大学があるらしい。イ
ンターネットでちょっと調べ物をしていて、「同朋大学同窓会文化講演会」の報告がパソコンのモニターに姿を見せた。講演会が行なわれたのは2002年11
月で、講演者は「旅行人」編集長にしてライターの蔵前仁一氏である。
まだ、こんなことを書いている人がいたのだ。
「蔵前仁一が広めた」という説は、まあまあ正しいかもしれないが、「沈没とは、ある土地
に2週間以上滞在すること」と定義しているなんざ噴飯ものだ。「沈没」という語は「2週間を超える滞在で使用するのが好ましいとされる」と独断で決めた者
は、一歩前に出て名を名乗れ。ウィキペディアという百科事典はおおむね好ましいのだが、旅行関連の書き込みはこの程度だから残念。
ちなみに、この本は最近復刊されたが(鈴木くにこ著、碧天舎)、私が持っているのは旧版。1964年2月10日の発行で、手元にあるのは、同じ64年の3月25日発行の「五版」と奥付けにある。出版事情を知っている人なら、「うん?」という本である。 【追記】
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アジア雑語林(156) 2006年9月5日
世界の吉野家 海外の吉野家についてちょっと調べたいことがあって、吉野家のホームページに当たったら、これがおもしろい。外国の吉野家全リストがある。 A 「私、いまスープカレーにはまっているの。韓国でスープカレーの店を出したら、きっとうまくいくと思うんだけどな」 などと、まずは否定的な部分から話を始め、「これがいい」「あれがいい」と話が盛り上がっていったのだが、それはまた別の機会に。話したいのは、このことではない。
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アジア雑語林(155) 2006年8月24日
1985年の日韓 本を読み始めたら、その1行目で中断してしまった。
「このところ」というのは、1985年ごろということだが、「1985年前後」ではな
く、「1985年までの数年間」の意味だと解釈すべきだろう。仮に、1983、84、85年の3年間ということにして、さて、そのころに「ブーム」といえ
るほど韓国関連書が数多く出版されただろうか。
ざっと調べたら、こういう結果になった。1980年代後半の、怒涛のような出版を考えれば、1984年前後あたりの韓国関係書の出版は、とても「ブーム」などと呼べるようなものではなかったと、今ならわかる。
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アジア雑語林(154) 2006年8月15日
1972年に何が起きたのか、あるいは何が起きなかったのか 坪内祐三の『一九七二』は違和感の多い本だった。歴史的事実の間違いも気になった。もと
もとこの本は「諸君」の2000年2月号から2002年12月号まで連載された文章をまとめ、2003年に文藝春秋から単行本として発行したものだ。した
がって、雑誌連載時と単行本化のときに、著者はもちろん編集者や校閲者の目もくぐっているはずなのに、間違いが少なくない。
まずは、海外旅行者数について考えてみる。1972年前後の海外旅行者数も紹介してみよう
こういう統計の数字でわかるのは、72年に出国者が100万人を突破し、それが前年比
44.8パーセント増だというのは事実ではあるが、72年が決して特別な年ではないということだ。71年も前年比44.9パーセント増であり、73年は
64.4パーセントの増加である。したがって、72年だけの数字をあげて、この年に海外旅行者が急増したというようなことを書くのは、恣意的な誇張であ
る。
この数字で計算すれば、62年から10年後の72年の出国者数は「七倍増」どころか、18.6倍の増加なのである。まあ、海外旅行が自由化される前の62年とくらべようという発想が、どだい無理なのだ。
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アジア雑語林(153) 2006年8月4日
おぞましき合併を記念して — 有名な市町村 — ずっと前から気になっていたのは、全国レベルで有名な市町村はどこなんだろうという疑問
だ。全国の市町村は、村おこし・町おこしで、知名度向上運動をくりひろげているところが多いのだが、さて、その成果はどうだろう。今回のタイトルを「おぞ
ましき合併」とつけたのは、なじみがある地名が消えてしまったからだ。私が少年時代を過ごした町も、父が生まれ育った町も、地図から消えた。だから、「お
ぞましき合併」と呼びたいのだ。まあ、それはともかく、この知名度判定は、私が知っているかどうかではなく、「世間の知名度はこの程度だろう」と私が想像
したにすぎない。
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アジア雑語林(152) 2006年7月23日
全国アジア料理店調査をやってみようかと思ったが・・・ ブックオフ調査に続いて、今度はアジア料理店だ。すでにタイ料理店の調査はやっているので、今回はインドネシア料理店とフィリピン料理店を調べてみることにした。調査法は例によって、インターネット情報だ。
以上がベスト5で、ほかは奈良が3、宮城・愛知・静岡が2店。他の9県に1店舗ずつあるようだ。
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アジア雑語林(151) 2006年7月12日
リーゼントのキャロル 長髪派少年だったから、短髪青少年が大嫌いだった。
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