シルクロード見どころマップ
カザフスタン アルマティ
カザフスタン東南部に位置する同国最大の都市。人口は120万人。すぐ南には5,000m近いザイリースキー・アラタウ山脈が連なり、その向こうはもうキルギス。アルマティの旧名はアルマ・アタで、1997年11月まではカザフスタン共和国の首都だった。これは19世紀半ばに建設されたヴェルヌィというロシア軍の砦が町に発展したもの。
28人のパンフィロ親衛部隊記念公園
親衛部隊とは第二次大戦中にソ連軍の中で特に功績のあった人や部隊に贈られた称号。アルマティ出身のパンフィロフ以下28人の志願兵からなる部隊は、数、装備ともにはるかに優勢なドイツ軍を撃退(50台の戦車のうち18台を破壊)したことにより、その称号を与えられた。日本人墓地
スターリン時代、旧ソ連国内では幾千万もの人々が囚人として収容所に送られたが、特にカザフスタンには様々な種類の収容所、労働キャンプが設けられ、ほとんど国全体が収容所ともいえる様相を呈していた。
その中には敗戦後、ソ連領に連行された旧日本軍の抑留者たちも含まれる。そのうちの大半は厳しい強制労働に従事させられたが、過酷な条件の中で命を落とす人も多かった。アルマティでは第一墓地と中央墓地の2カ所にそうした人々の埋葬地がある。シュムケント
カザフスタンの南に位置する同国第3の都市。人口41万人、タシケントとはわずか124kmの距離にある。そのためソ連崩壊後、別々の国になってしまったが、今でも結びつきは強い。市民のほとんどはカザフ系だが、他の民族も住んでいる。町から東郊外には4,000m級の山々が連なり、夏でも雪をかぶった山が眺められる。近くのレンゲルに第二次大戦後、日本人の強制収容所があった。
中央バザール サイラム
シュムケントの東10km。コジャ・アフメド・ヤサウィー(トルキスタンの頁参照)が誕生した町であり、10〜13世紀にかけて、オトラルやバラサグンといったこの地域の一連の都市とともに、交易の要所であった。14世紀の小規模な聖者廟が残っている。オトラル
シュムケントの北西150kmほど、現在のシャウルデル村の先にある都市遺跡。オトラルは紀元前1世紀から18世紀半ばまで東西交易の要所であり、1218年のオトラル事件、1405年のティムールの遠征途中での病死など、たびたび歴史に顔を出す都市だ。特に10〜12世紀のカラハーン朝期からモンゴルの侵入あたりまでの時代は、この地域の中心都市であった。トルキスタン
この町が有名なのはコジャ・アフメド・ヤサウィーの霊廟があるからだ。ヤサウィー(タジク語でヤスの住人という意味)とは13世紀の高名なスーフィーかつ詩人であり、そのテュルク系の言葉で書かれた詩は神秘主義的な思想を多分に含み、バルカン半島にまで至るテュルク世界全域で愛唱された。ソ連時代は宗教が否定されていたにもかかわらず、ヤサウィーが1166年に亡くなって以来、巡礼者の足は途絶えていない。
コジャ・アフメド・
ヤサウィー廟アスタナ(旧アクモラ)
1997年12月にアルマティから遷都したばかりの新首都。アルマティから北北西へ1,224kmの北部に位置し、人口は約30万人。ソ連時代はツェリノグラードとロシア風の名前で呼ばれていた。独立後はカザフ語で白い墓という意味の旧名アクモラに戻され、新首都に決定すると首都という意味のアスタナに改称された。