シルクロード見どころマップ
グルジア(サカルトヴェロ) トビリシ
旧ソ連圏の大都市の街並みは、画一的で面白味の少ないものが多い。これは歴史のある古い街にもしばしば当てはまるが、トビリシはその数少ない例外に入るだろう。特に旧市街は、曲がりくねった細い通りに帝政時代のロシア建築とイラン色の強いグルジア建築が混在し、独特の雰囲気を保っている。
シオニ教会
6世紀から7世紀にかけて建立された聖堂で、内部には、聖ニーノ(後述)が、髪の毛とブドウの茎で編んだと伝えられる聖ニーノの十字架が残っている。メテヒ教会
ムトゥクワリ川に面した教会。初期の教会は12世紀のモンゴルの侵入によって破壊されたが、その直後に再建され、現在の姿になった。他の多くの教会と同じく、旧ソ連時代は劇場として使われていたが、グルジアの独立後、教会として活動を再開。民俗博物館
グルジア近代化以前の伝統的な農村生活を再現した野外博物館。伝統的な住居や農具、生活用品が展示されている。カルトゥリ地方
この地域には数千年前から南カフカス系のカルト族による国家が存在し、古代ギリシャ人らにイベリアの名で呼ばれていたが、自らはカルトゥリと称した。これがこの地域の呼び名となったのである。同時にこのカルトゥリは現在グルジア語という意味で、派生語のカルトヴェリはグルジア人のこと。
スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂(ムツヘタ)
原型は10世紀に建てられたが、その後ティムールの軍隊に破壊され、現在のような形になったのは15世紀のこと。内部には癒しの水が飲める小部屋や、聖ニーノのイコンがある。また歴代のグルジア王や貴族は皆ここに埋葬されている。スターリンの生家(ゴリ)
1879年、スターリンこと、ヨシフ・ジュガシヴィリは貧しい靴職人の子としてこの地に生まれた。生家は後に取り壊されたが、スターリンの独裁が確立しつつあった1930年、ゴリで「スターリンの生活と活動展覧会」が開かれると、それをきっかけに復元計画が持ち上がり、5年後には存命中だった母親の記憶をもとに小さな木造の家が建てられた。カヘティ地方
カヘティ地方はグルジアワインの名産地。ツィナンダリやアラジャーニといった有名なワインの銘柄は、それらが作られている町の名に由来する。遠くに霞む大カフカス山脈と一面に広がる葡萄畑の取り合わせはこの地方を象徴するような光景だが、カヘティの場合は、さらに修道院や教会といった古い建築物が加わる。
アラヴェルディ大聖堂(テラヴィ)
11世紀にクタイシのゲラティ、ムツヘタのスヴェティツホヴェリとともに、統一グルジアの権威の象徴として建てられた。長く伸びた円筒の部分に特徴があり、現存するグルジアの教会の中では最も高い。イメルティとサムツヘ・ジャワヘティ地方(グルジア西部)
現在のグルジアが一つの国であったのは、歴史上10〜12世紀のバグラト朝の時代のみである。古代、グルジアの東部がイベリアと呼ばれたのに対し、こちらはコルキスの名で呼ばれていた。エウリピデスの『王女メディア』の舞台となるコルキスとは実はこの地域のことなのである。
バグラティ大聖堂(クタイシ)
聖堂の名は建設者であるバグラット3世にちなんでいる。1008年に建設され、1691年にオスマン帝国によって破壊された。1994年に世界遺産登録。サメグレロ地方(グルジア北西部)
サメグレロとはメグレル人の土地という意味。メグレル人は、グルジア人(カルトヴェリ)人と同系統の言語を話し、グルジア正教を信仰している。しかし、話している言葉が標準グルジア語とはかなり異なるのと、食生活など生活習慣の違いの大きさから、しばしば別の民族に分類される。
塔状の家 スワネティ地方
スワネティ地方はグルジア北西部の険しい山岳地帯にあり、主にスワン人が住んでいる。スワン人は標準グルジア語とは異なるスワン語を話し、歴史的には勇猛な山岳民として、グルジア王国の最盛期に軍団の中核となった。歴史的には外部と隔絶され、独自の伝統を保ってきた地域なので、いまだに交通の便は悪い。
伝統的な住宅 アジャラ(アジャーリア)自治共和国
首都はバトゥミ。アジャル人は約300年にわたるオスマン帝国の支配の影響でムスリムとなったグルジア人であり、話す言葉は標準グルジア語(カルトゥリ)に近い。ただ、ムスリムといってもソ連時代に世俗化が進んだため、あまりそれらしい雰囲気は感じられない。
バトゥミの臨海公園