アジア横断見どころマップ

トルコ

ドウバヤジット
 町からは雪を抱いたアール・ダア(アララット山)の美しい姿が見られる。ここは旧約聖書の中でノアの箱船が漂着した場所とされている山だ。町中は舗装されておらず、夏は埃っぽく、冬はぬかるんでいる。

イサク・パシャ・サライ
 1685年、チョラック・アブディ・パシャによって建てられはじめ、1784年に彼の子イサクによって完成された宮殿。建築様式はセルジュク、オスマン、ペルシャだけでなく、グルジアやアルメニアの様式も折衷したもの。

エルズルム
 東部アナトリアの交通・商業の中心都市。イラン方面からドウバヤジットを経て来た旅人には近代的な町に見え、アンカラなど西部の町から来た人にはヴェールを被った地元の女性、チャドルを被ったイラン女性の姿などにアジア的なものを感じるだろう。

チフテ・ミナーレ・メドレーセ
 ジュムフリエット通りの東端。入口のミナレットが見事。チフテとは「対」という意味で、1253年にセルジュクトルコのスルタンによって建てられた。入口のペルシャ、中央アジア的な鍾乳石飾りが美しいが、今ではタイルも彩色も剥げ落ちている。

トラブゾン
 黒海に望む港町トラブゾンは、その地理的な条件から、ヨーロッパとペルシャ、ロシア、カフカス、メソポタミアなどの中継地点として古くから栄えてきた。その役割は現在でも変わっていないようだ。

スメラ修道院
 ビザンチン時代に作られた岩窟修道院。聖マリアに捧げられたことからMeryemana(メリヤマナ)とも呼ばれる。

トルコ東部
 カルス、ワンといった都市を含むトルコの東端の地方は、全般に標高が高く、乾燥した風土である。明るい太陽と穏やかな気候の西部とは随分雰囲気が異なる。違うのは環境だけではなく、これらの地域と先進的な西部とは、経済的にも歴然とした差がある。

ホシャップ城塞
 17世紀の半ばに建設された大規模な城塞。当時この地方を統治していたクルド系の領主によって建てられた。保存状態は良く、特に正面の門を飾る意匠は独特である。

カッパドキア
 アナトリアの中央に位置するカッパドキア地方は、世界に類を見ない奇岩の風景が広がり、旅行者に強烈な印象を残す。トルコというより、アジア横断のハイライトのひとつと言っていいだろう。火山の噴火による火山灰の地層によって造られたこの地形は、キノコ岩などの奇岩だけでなく、地下都市や岩窟教会を生み出した。

アンカラ
 イスタンブールに次ぐトルコ第2の都市で人口は400万人。現在のトルコ共和国の行政的な中心である。歴史的に常に「首都」であったイスタンブールに対し、アンカラの市街の大半は20世紀に建設された。

エーゲ海遺跡巡り
 現在のトルコ領土のエーゲ海沿岸はイオニアと呼ばれ、紀元前1000年ごろにはギリシャの植民市が栄えた地方でもあった。代表的な都市はエフェス、ミレトス、トロイなどで、ローマ時代にも大いに繁栄。しかしビザンチン帝国の衰退と共に、それらの古代諸都市も歴史の中に姿を消していった。

アフロディシアス
 セルチュクとデニズリの間に位置するこの古代都市遺跡は、知名度ではエフェスには及ばないが、見応えでは匹敵するほど保存状態は良い。

パムッカレ
 パムッカレとはトルコ語で「綿の城」の意味。デニズリの北19km、目の前に見えてくる白い崖の上には、写真でお馴染みの白い石灰棚とローマ時代の遺跡がある。

石灰棚
 古代ペルガモン王国からローマ帝国に至るまで、ミネラルを含んだこの温泉地は保養所として知られていた。現在博物館のあるあたりが、当時のローマ浴場の跡。

イスタンブール
 長かった「アジア横断」の旅もいよいよ大詰め。ボスポラス海峡を渡ればもうそこはヨーロッパだ。この東西の交差点に最初に都市が築かれてから2000年以上の年月がたっているが、いまだその重要さを失っていない。

トプカプ宮殿
 メフメット2世のコンスタンティノープル征服以来、トプカプ宮殿はスルタンの住居というだけでなくオスマントルコの中心として、3世紀あまり様々なドラマを生んできた。この宮殿に住んだ最後のスルタンはマフムート2世(1808〜39)で、それ以降のスルタンはボスポラスにあるドルマバフチェ、チェラーンなどの西欧的な宮殿に移り住んだ。

スルタンアフメット・
ジャミイ
カーリエモザイク博物館
ルーメリヒサール

『旅行人ノート アジア横断』
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