アジア横断見どころマップ
イラン テヘラン
「テヘラン」とはペルシア語で「平らな」を意味する。もとはアルボルズ山麓の一寒村であったが、13世紀にモンゴルが侵入し、この地方の中心都市であったレイ市を滅ぼすと、それに代わって交易の中心となり繁栄した。1800年にカジャール朝がここを首都として定めて以来、イランの中心として発展。今世紀に入ると、オイルマネーによりテヘラン市は急速に近代化されていった。
テヘラン考古学博物館
人類の創世紀にまでさかのぼる土器から、イランのイスラム化以後の現在にいたるまで、イランの領域内から集められた膨大な量の考古学的、歴史的美術品が展示されている。イスファハン
イスファハンはイスラム芸術の粋を集めた建築物が残る都市だ。イランで最も美しい都市と言われ、日本で言えば京都のようなところ。気候も穏やかで水や緑に恵まれており、古都にふさわしい落ち着いた雰囲気は、乾燥した茶色い砂漠から来るとまさにオアシスそのものだ。
チェヘル・ソトーン宮殿
1657年にアッバース大帝が迎賓館として建てた建物。チェヘルソトーンとは40の柱という意味であるが、実際には柱は20本しかない。前の庭の池に宮殿の姿が映ると柱が倍の40本に見えることから、そう呼ばれるようになった。ヤズド
ヤズドはイラン中央部を占めるカビール砂漠の一角にあるオアシス都市として古くからシルクロードの要衝として栄えた。マルコポーロもこの地に立ち寄り、繁栄の様子を「東方見聞録」に記している。
拝火教寺院・アタシュカデ
これを見にわざわざヤズドに来たとしたら、きっと失望することになるので、あまり期待はしない方がいい。ツーリストの多くはイラン三大ガッカリに挙げているほど。まるで雰囲気のない現代風の建物の中で、窓ガラス越しにA.D.470年以来消されたことのない(イスラム革命時に消されたという話もあるが)という聖なる火が燃えているだけ。シラーズ
標高が高いため気候は穏やか、冬は温暖、夏の暑さも他の都市ほどではない。シラーズが政治的な中心であったのはザンド朝(1753〜1794)の短い期間だが、歴史的には芸術や文化の都として栄え、当時の建物が今でも残っている。
バザーレ・ワキル
カリムハーンによって建てられたバザール。レンガ造りの建物が印象的。バザール内にはやはり同じ時期に造られたハマム(蒸し風呂)であるハムーメワキルHm anme Vakilもある。ペルセポリス
イラン観光といえば大体の人がこのペルセポリスを思い浮かべることだろう。マルヴダシュト平野の一角にあるクーイラフマット(Kuh-i Rahmat・慈悲の山)の斜面に築かれたこの都は、行政上の首都スーサとは別に宗教的な都として栄えた。
アパダーナ
高さ2.6mの大基壇の上に、ダリウス1世の命のもとに建設された謁見の間。この正方形の大広間は、6柱6列の石柱でレバノン杉の屋根を支え、日干しレンガの壁が作られていた。ケルマン
伝説によればケルマンはササン朝ペルシャのアルダシール1世によって3世紀に作られた。その後アラブ、セルジュクトルコ、モンゴルと多くの民族の侵入を受け破壊と再建を繰り返した、サファヴィー朝時代には東西交易の中心として発展した。また絨毯の産地としても知られている。
バザーレ・ワキル
サファヴィー朝時代に開かれたバザールで、3kmの長さに及ぶ。伝統的な手工芸品や、銅や真鍮製品などが手作りで作られている。バザール内にあるチャハイネは必見。バム
ケルマンより東へ200km。ナツメヤシの産地として知られるオアシスの町がある。歩いて回れるほど小さな町だが、ここを有名にしているのが、アルグと呼ばれる城を含む壮大な廃墟だ。イランの中でどこが一番良かったかと聞かれて、このバムを挙げる旅行者は多い。
バンダル・アッバス
ペルシャ湾の入口、ホルムズ海峡に面した町で対岸はオマーン。1年中湿度が高く暑い町で、そのせいか商店、サンドイッチ屋、レストラン等はエアコン付きである事が多い。
バザール
海岸に面してアーケードがあり、一見東南アジア的。その裏にバザールが広がっていて、イランでは珍しい路上で物を売る女性の姿がある。派手な柄の衣装をまとった女性も多い。バローチスタン地方
イラン東南部のバローチスタン州はパキスタン、アフガニスタンと国境を接する辺境州。このあたりはイランというより、パキスタン的雰囲気が濃厚だ。夏の暑さは厳しく、小さなオアシス都市に人々がかろうじてしがみついて暮らしている。住民の大半はパキスタン西部やアフガニスタン西南部に住んでいるのと同じバローチ族で、部族社会的要素をいまだ残している。
クーイ・ハージャ
クーイハージャとはペルシャ語で「聖者の山」という意味で、ヘルマンド湖に浮かぶ島。島といってもこの湖は初春以外は干上がっているので、どこからでも歩いて行ける。マシュハド
「殉教の地」という意味のマシュハドは、シーア派イスラム教徒の聖地である。8代目のイマームであるイマームレザーが817年にこの地で死んだ後、彼がアッバース朝カリフに毒殺されたという噂が広がり、その墓は聖地として巡礼者を集めるようになった。
イマーム・レザー廟(ハラム)
イスファハンのマスジェデイマームとシラーズのシャーチェラグ聖廟を足して3倍にしたようなものと思えば良いか。ハラムはまさしく市の中心にあり、その中は驚くべきイスラムの世界がある。カスピ海沿岸地方
アルボルズ山脈とカスピ海に挟まれた東西に細長い土地は、ギーラーン州とマーザンデラーン州の2州からなる。イランというと一般には乾燥した高原や砂漠というイメージを抱きがちだが、この地域は正にそれとは正反対の環境。南からアルボルズ山脈を越えると次第に緑が多くなり、空気も湿気を帯びてきて、水田も目につき始める。
イマームザーデ・アッバース
サーリー市内では最も巨大な聖廟。墓碑によれば聖者アッバースとその他2名が祀られているという。巡礼客でいつもにぎわっている。フーゼスタン地方
フーゼスタン州はイラン国内というより世界有数の大産油地帯である。さらにこの地方の住民の大半はアラブ人であり、クウェートやイラクの人々と様々な点で近い関係にある。残念なことに、イラン=イラク戦争では主戦場となって荒廃し、8年間におよぶ戦争の影響はいまだに色濃く残っている。
チョガザンビル
現存しているエラム期のジグラット(階段状のピラミッド)では最大と言われている。紀元前13世紀の中頃、時のエラム王国の王であったウンタッシュガルUntash Galが、この都(現在のシューシュ)であるドゥルウンタシュDur Untashを守護するものとして建設した。ハマダン
ハマダン州の首都ハマダンは、テヘランの南西400km、ケルマンシャーの東190kmに位置するアルヴァンド山麓の都市である。標高は1800mで夏は過ごしやすいが、冬は寒さが厳しく、しばしば雪が積もる。
石のライオン
市内で唯一、エクバタナの時代を彷彿させるモニュメント。もともとは市の門を守るため作られたらしい。ハマダンでは有名な場所で、歴史に興味のある人以外はわざわざ見に行く程のものではない。ケルマンシャー
ケルマンシャー州の州都ケルマンシャーは人口約60万を数える西部イラン最大の都市の一つ。町の歴史は4世紀に遡る。メソポタミアとイラン高原を結ぶ要所にある事から、現在に至るまで周辺の王朝間、国家間の争奪の対象になることが多かった。
ターゲ・ボスタン
市の北側に位置するメイダーネ・イマームホメイニからブルバーレ・シャヒッドシルボディを北へ向かって直進すると、この遺跡公園がある。入口から奥へ歩いて行くと、観光地らしくレストランが並び、池がある。その向こうの崖に3つのササン朝時代のレリーフが刻まれている。ターゲボスタンとは楽園のアーチの意味である。タブリーズ
タブリーズはテヘランの北西597kmに位置し、アゼルバイジャン州の州都であり、イラン第2の貿易や産業の中心である。ササン朝時代に建設され、モンゴル侵入当時にはすでに大都会に発展していた。
アルゲ・タブリーズ
13世紀初頭、イランがイル汗国の支配下にあった時代に建てられた要塞の跡。度重なる地震のために大部分が崩れ落ちているが、それでも残っている部分の高さは40mくらいあり、当時の巨大さを偲ばせる。マクー
トルコ国境より10数キロ。標高1634mの深い峡谷の間に細長く開けた町。町自体に取り立てて見どころはなく、多くのツーリストは通りすぎてしまうが、国境を越えたばかりの人も、これから越える人も一息つくのには手ごろな町かもしれない。
ガラ・ケリサ
別名タデウス教会。イランにあるキリスト教会の中でも印象的なもののひとつ。このあたりにまでアルメニアの力が及んでいたことがわかる。12使徒の一人聖タデウスが1世紀頃この地方を伝道した後、この地で埋葬されたという。アゼルバイジャン地方
アゼルバイジャン地方は西にトルコ、北にカフカス諸国と国境を接している。その名が示すようにアゼリー人(アゼルバイジャン人)は、北の方に位置するアゼルバイジャン共和国の住民とは民族的に同質である。
シェイク・サフィー・ウッディーン廟
サファヴィー教団の祖、シェイク・サフィーウッディーンの霊廟。サファヴィー教団とはイスラム教シーア派の一宗派(12イマーム派)に属し、16世紀前半から約2世紀に渡ってイランとその周辺地域を支配したサファヴィー朝の母体となったものである。